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"推し”と揺らぐ心の話 〜「推し、燃ゆ」感想

まともに顔も見られないような、この感情を何と呼ぼう。

 

待ち焦がれていた日々に絡まる、嬉しさと恥じらいと不安。どんな心持ちでいるべきなのかわからなくて、答えを求めた本の海。そして出会った一冊の本。

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第164回芥川賞受賞作、「推し、燃ゆ」。

最低限の生活がこなせない女子高生、あかり。苦しみ生きる中でも、"推し"のことにだけは全力を出し切り、希望を抱くことができた。しかし、"推し"が「炎上」してしまうことで、そのバランスがぼろぼろと崩れていく。

この小説でまず驚かされたのは、インターネット社会のリアルな描き方だ。「チケット当たんなくて死んだ」「目が合ったから結婚」と仰々しい表現でSNSに投稿するオタク達。不祥事を起こした人間に対して「燃えるゴミ」と叩く某掲示板の住人達。女性声優に対しておっさん構文を用いメッセージを送る、中年世代達。そのどれもが、普段私が目にしている"インターネット"そのものであった。この中であかりは、"推し"に対しての解釈ブログを書き綴る著名な「ガチ勢」オタクである。実際、彼女の"推し"に対する描写は、どれも美しいものばかりだ。

真っ先に感じたのは痛みだった。めり込むような一瞬の鋭い痛みと、それから突き飛ばされたときに感じる衝撃にも似た痛み。(中略) 彼の小さく尖った靴の先があたしの心臓に食い込んで、無造作に蹴り上げた。この痛みを覚えている、と思う。

推し、燃ゆ 宇佐見りん(河出書房新社)

存在が好きだから、顔、踊り、歌、口調、性格、身のこなし、推しにまつわる諸々が好きになってくる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の逆だ。その坊主を好きになれば、着ている袈裟の糸のほつれまでいとおしくなってくる。

推し、燃ゆ 宇佐見りん(河出書房新社)

自分もこのように書き綴ってみたい、と嫉妬してしまうほどの巧みな表現。まさに現実のTO(トップオタ)そのものである。 だからこそ、"推し"の炎上をきっかけに崩れていく彼女の生活に息を吞んでしまう。

推しがいなくなったらあたしは本当に、生きていけなくなる。あたしはあたしをあたしだと認められなくなる。

推し、燃ゆ 宇佐見りん(河出書房新社)

詳しい顛末については是非その目で確かめていただきたいのだが(冒頭試読はこちら)、"推し"の齎す身体の軽さも、"推し"を失うことで崩れていく心も、どちらも馴染み深いもので。たとえどんなに信頼を寄せていても、"推し"が人間である限り、逃れられない終わりはきっとある。その時に自分はどうなってしまうのだろうか。とても嬉しいはずなのにどこか不安な気持ちは、きっとここに起因するのだろう。

 

「推しを推すこと」について改めて思いを巡らす、大切な小説となった。