スウィート・アラカルト

食後は別腹クレープ!

グリーンローズのひととせ

それは初恋の再来だった。

鋭い目線と振り切るようなダンスに、いつの間にか釘付けになっていた。今まで興味の無かったCDを友人から借り、ジャケットを直視できない自分に頭を抱えた。テレビの中の人物にこんな想いを抱くだなんて、思ってもいなかったのだ。

私はずっと、「忘れられない花」を抱えていた。その生命力はしぶとく、別の花を摘んでみても枯れなかったため、"これ"に匹敵するものなど現れないと思っていた。また、幼き頃から"これ"を抱えていたが故に、画面の中の存在にはてんで興味がなかった。二次元・三次元のどちらについて尋ねられても、同性の名前しか思い浮かばなかった程である。

だからこそ彼の ──松島聡さんの存在はとても大きなものだったのだ。

 

2017年10月29日、友人に少クラのTeleportationを見せられて以来、私の世界は大きく変わった。昔の想い出を何度も巻き戻しては胸を痛めていた自分にとって、リアルタイムで追えるときめきはとんでもない刺激であった。そのため友人にベストを借りた一週間後には「ROCK THA TOWN」「ぎゅっと」の初回盤を購入していたし、ジャニーズウェブやファンクラブにも気づけば登録していた。

二次元のアイドルしか追ってこなかったため、ジャニーズの供給量の多さには大変驚いた。雑誌にラジオにと嬉しい悲鳴をあげていたところあっという間に1カ月が経ち、11月27日となった。聡くん20歳の誕生日である。せっかくの節目であったが、この頃の自分は足に蔦が絡まっており、大々的に祝うことができなかった。21歳のお誕生日には盛大にお祝いすると決め、既に来年に向けての案を考えていた。

時間外労働が100時間間近となり身体も心もボロボロだった12月は、XYZ=repaintingのアルバム&ツアー決定の報に助けられた。休憩時間にこの知らせを見てリアルに飛び跳ねていたところ、先輩に見られ大変恥ずかしかった記憶がある。フラゲ日の2月13日には必死の思いで定時に帰り、万全の構えでCDを聴いた。「Birthday for you」のソロパートや「ラブマジ」「会いたいよ」のラスサビ前にひたすらゴロゴロした。もっといろんな人に聴いてほしいという思いから、このブログも開設した。

4月に初現場が決定したため、3月はその準備に奔走していた。友人を引き連れてデパートに行き、全身を変えた。まずは下着屋で10年振りのサイズ測定をしてもらい、購入したものをその場で着けた。友人がジェラートピケを発見し「寝てるときはふわもこパジャマって答えてなかったっけ!?」と言うのでウッカリ購入した(ちなみにこの時の私は「ジェラピケ」が一体どんなものなのか全く知らなかった)。ずっと着てみたかったが躊躇していた系統の服屋に行き、友人と店員さんの着せ替え人形になった。こうしてじっくり服を選ぶことは初めてで、最終的に選んだ若草色のカーディガンが気恥ずかしくも嬉しかった。最後にはコスメコーナーに突撃し、化粧水からチークまでおすすめされたものを一通り買った。BBクリームとベビーパウダーしかまともに塗ってこなかった私にとって「下地からちゃんと塗ること」はなかなかのハードルだったが、毎日必死で練習した。そして迎えた初現場、夢のような一日だった。これまで色々なライブに参戦してきた私であるが、物販の時点で心臓がバクバクになっていたのは初めてである。購入したうちわにキャーキャー騒ぎ、センターステージとの近さに動揺した。コンサート中はずっと心がふわふわしており、本当にこれは現実なのか?とまさに夢見心地であった。

8月は大きな転機の月だった。24時間テレビに向けての番宣で、様々な表情の彼を見られることに毎日はしゃいだ。その結果、足に絡まっていた蔦が解けることとなったが、ようやく自分の想いをしっかりと発信できるようになった。心機一転してTwitterのアカウントを移行し、24時間テレビに臨んだ。正直なところ24時間テレビは苦手な番組であり、不安の方が大きかったのだが、改めて色々なことを考え直す良い機会になった。特にブラインドダンスについては、彼のみならずパートナーである池田雪子さんにも大きな感銘を受けた。いつも笑顔を絶やさず、「私たちは、皆さんが思っている以上に心が強い」と彼らを導くその姿勢は、ひとりの女性として大変魅力的であった。この結果、私は社交ダンス教室の戸を叩くこととなる。最初は体験レッスンとしてチャ・チャ・チャを学んだのだが、講師の説明が今も頭に焼き付いている。「ルンバが4拍子で3歩進むのに対し、チャ・チャ・チャは4拍子で5歩進みます。ルンバは、キューバの黒人奴隷たちによって生みだされたダンスと言われています。両足を鎖でつながれているため、4拍子で3歩しか歩けないのです。そしてチャ・チャ・チャ ──これは私の独自の解釈なのですが。奴隷が解放された結果、喜びのあまり4拍子で5歩も進むようになったのかなと。なので私は、チャ・チャ・チャを『しがらみからの解放』や『自由への喜び』を表すダンスだと思っています。」この時、聡くんと雪子さんのチャ・チャ・チャが真っ先に思い浮かんだ。2人のダンスはまさに、しがらみを越えた感動を与えてくれるものだったからだ。また、24時間テレビをきっかけに「内面を引き出してもらった」「やっと自分が見つかった」と語る彼の姿も重なった。2人があの演目を行った意味が少し分かったような気がして嬉しくなり、「らじらー!」で体験レッスンに行った旨を投稿した。幸いにもこの投稿は採用され、彼の耳に届いたこともあり、今も週一でダンス教室に通っている。種目はワルツに変更になったが、常に新しい発見があり、楽しい日々を過ごしている。またこの頃から、様々なジャニオタさんとお話しさせていただくことが増えた。身近にはいない同担さんや他グル担さんと意見を交わすことは、大きな刺激となった。

10月になり彼との出逢いから一年経った頃、21歳の誕生日祝いを本格的にこさえ始めた。布地屋で布を厳選し、手芸本とにらめっこし、洋裁経験者の母からアドバイスをもらいつつミシンを走らせた。結果として出来上がったのがこちらである。

これっぽっちのものでも、ずっと考えていたことを形にできたことは、自分にとって嬉しいことだった。11月24日からブログが更新されないことが大変心配であったが、当時の私は「インフルエンザかな、せめてMステまでには治るといいなあ」くらいにしか思っていなかった。

そして11月28日。私はそのニュースを仕事の休憩時間に読んだ。ぶわっと感情が沸き上がったが、あっという間に残業は始まり、考える余地など無かった。震える手を抑えながらなんとか働き、急いで家に帰った後、ようやく声をあげて泣いた。

 

彼を好きになって、無我夢中で追いかけ始めた一年前。その頃からもう体調を崩し始めていたというのだ。それなのにいつも全力で、最高のパフォーマンスを見せてくれて。只々すごいな、と思った。同時に、彼に願いを託してばかりの自分を恥じた。私は心の弱い人間である。叱られることが何よりも嫌いで、すぐ傷ついて。「恐怖を恐れない人」よりも、「たくさん悩みながらも前に進む人」に共感と憧れを抱いて"推し"にしがちで。でも結局、"そうであってほしい"という勝手な理想を彼らに押し付けつつも、自分自身は安全圏から眺めているだけなのだ。つくづく卑怯な人間である。

しばらくは放心状態だった。彼が戻ってくる場所をきちんと守るためにも、他担さんの存在はとても大切なのだと理解はしていた。それでも心の奥では嫉妬が渦巻いていて、彼のいない世界が回っていくのが怖くて。4人でのパフォーマンスではどこを見ればいいか分からなかった。そんな中、他グル担さんとのDVD鑑賞会があった。私はSTAGEをお見せしたのだが、予想以上の反応を頂くことができ、とても嬉しかった。また、他グループのコンサートも色々見せて頂いた。アプローチの異なるパフォーマンスに、これまで見たことのない激しい特効や大掛かりな舞台装置。たくさん騒いだ一日となった。そしてこの帰り道に、ふと思った。「いつから私はこんなにジャニーズにはしゃぐようになったのだろう?」

もちろんこの答えは明白である。聡くんとの出逢いから、だ。これに限らず、彼との出逢いによって齎されたものは余りにも多い。ファッションやコスメに対する意識がとてつもなく向上したし、「推しについて長文で語る」というのもずっとやってみたかったことだ。これをきっかけに深く語り合える同担さんと出会うこともできたし、他にもたくさんの人との出会いがあった。所謂「オタク」になってそろそろ十年だが、こんなにも色んな人に出会い、多くの言葉を交わした年は初めてである。密かに興味のあった社交ダンスを始めることもできたし、アイドル衣装のミニチュア化にも挑戦できた。この一年、とにかく充実していたのだ。私はずっと、自分に何ができるのか分からなかった。多くの評価を得られる人が羨ましかった。今もその想いは変わらないのだが、一つだけ気づいたことがある。「今までの自分は、自分自身でさえも満足させられていなかった」ということだ。何かを成し遂げたと思っても、後に残る不満感。でも彼を必死で追いかけていた時には、そんな感情は残らなかった。そして姿が見えなくなった今、駆け抜けてきた道を振り返ってみて気づくのだ。新たな世界への扉が並んでいることと、その扉を開くための鍵を手にしていることに。

だから今の私がすべきことは、その扉を開けて安全圏から飛び出すことだ。たくさんの経験と力を積んで、自分の存在が大好きな人の負担にならないように。

 

すべての始まりとなった彼が、帰ってこられる場所を守るため。

私が今抱えているのは、緑色の薔薇だけだ。