スウィート・アラカルト

食後は別腹クレープ!

ずっと、輝きを待ってた 〜μ'sと私とラブライブ!フェス〜

久しぶりに会ったらどうなるのかな、とずっと思っていた。

 

μ’sは、私にとってはじめて好きになった「アイドル」で。

同時に、活動休止にはじめて立ち合った「アイドル」でもあった。

 

 

2013年12月。まだ学生だった私は、友人のすすめでスクフェスを始めた。そもそもゲームというものが苦手であるため、スクフェスは初めて触れたアプリゲーでもあった。慣れない音ゲーに四苦八苦しつつも、全体のストーリーが気になりはじめた私は、アニメを見ることにした。当時製作されていたラブライブ!のTVアニメは一期のみ。最初は軽い気持ちで見ていたが、3話「ファーストライブ」にて衝撃を受けることになる。「所詮ものがたりなのだから、ファーストライブなんて成功するに決まっている」そう思っていた私は、幕が開いた瞬間の光景に絶句した。観客、0人。「現実なんて甘くない」と涙する主人公。それでも、なんとか滑り込んできたわずかな観客に向けて全力のパフォーマンスを披露する3人。ここで完全にラブライブ!の世界に取り込まれた私は、アニメを一気見した。

特に好きな話は、4話の「まきりんぱな」である。アイドルへの想いは人一倍だが、引っ込み思案な自分にはできないと諦めてしまっていた花陽。幼い頃からかわれた経験から、かわいさとは縁遠いと思い込んでいた凛。音楽が大好きだが、医学部に進む自分にこれ以上の道は無いと心を閉ざしていた真姫。凛と真姫に背中を押され、せいいっぱい声を振り絞る花陽の姿を見て、まきりんぱなの関係性が大好きになった。人生で初めての「推し」だった。

こうしてラブライブ!にのめり込んだ私は、声優ライブ(μ's →NEXT LoveLive! 2014 〜ENDLESS PARADE〜、通称μ's 4th)が間近に行われることを知る。根っからの二次元オタクであった私は声優自身にそこまで興味はなかったのだが、試しに過去のライブの試聴動画を見てみたところ、新たな衝撃を受けることになる。

youtu.be

声優はあくまで声優であり、いわゆる“キャラクター”自身ではない。その認識ははっきりとあったのだが、確かに鳥肌が立った。歌やダンスに対して鳥肌が立つ、という経験は初めてのことであった。また、全員年上だということにも驚いた。「年上の女性たちがきらきら輝いている」、この事実は自分の中で大きな支えとなっていった。あまりにも直前だったため4thには参加できなかったが、次のライブには是非参加したいとの思いで、サイリウムやコールの文化を学んでいった。

 

2014年4月。社会人となり不安でいっぱいの私にとって、「ラブライブ!をリアタイできる」という事実は大きな心の支えだった。二期の放映開始である。見るたび一喜一憂し、SNSで様々な考察を探る日々。大好きな新曲であったり、どうしても許せない展開であったり。様々な感情と思い出がどんどん溜まっていった。初任給でアニメ円盤を予約しながら、まさかこんなに心揺り動かされるものに出会えるとは、と不思議な気持ちに浸っていた。

二期が終わったあとも、はじめて尽くしの日々だった。ランティス祭りで出会えたμ'sにはしゃぎすぎてしまい、初の野外フェスにのっけからバテてしまったり。5thライブでは始発電車に乗ってライビュ会場に向かい、寒空の中物販に並んだり。劇場版に関しては、「映画館に通う」という経験をはじめてすることになった。公開初日に横浜で劇場版を見た後、その足でファンミ幕張に向かった思い出がある。また、ファンミ広島の際にははじめて中国地方に足を運ぶことになった。ぷわぷわーお!が初披露された時の歓声を今でも忘れることができない。

こうしてμ'sとの日々を過ごしてきた私であったが、いくつかの懸念が頭を過っていた。まず、絢瀬絵里役の南條愛乃さんが膝の不調によりパフォーマンスできなくなってしまったこと。この頃にはMステや紅白にも出演が決まっていたμ'sであったが、いずれも穴の空いた形での出演となった。次に、劇場版が終わってしまったことにより、次の展開が見えないこと。最後に、ラブライブ!サンシャイン!!という別プロジェクトが立ち上がったこと。サンシャイン!!も今となっては大好きなコンテンツであるが、当時は不安でいっぱいだった。もしかしたらμ'sはそろそろ潮時を迎えてしまうのかもしれない──そう思い始めたころ、とあるリークがSNSを駆け巡り始めた。そして2015年12月5日。公式から「東京ドームでのライブをもってμ's活動休止」の報を伝えられることになる。

察していたこととはいえ、その事実は大変ショックであった。このニュースの際、ちょうど同胞の友人達と共に過ごしていたのだが、全員呆然としていた。「一体我々はこれから何を心の支えとしていけばいいのか」名駅地下のカフェで議論を交わしていたのを覚えている。

 

ラブライブ!μ's Final LoveLive!〜μ’sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪〜」。μ'sにとって初めての東京ドームであり、活動休止前最後のライブ。もちろん現地に行きたかったのだが、仕事の都合上、年度末・年度始めの日程(3月31日・4月1日)は大変厳しいものであった。そのため、翌日4月2日のディレイビューイングでの参戦となった。まっさらな気持ちでライブを迎えるため、3月31日からネット断ちをし、私は映画館へ向かった。

ざわざわした中はじまるOPアニメ。「いつものBGM」が流れ始めたところで、もうダメだった。

始まりの朝(メインテーマ)

始まりの朝(メインテーマ)

  • provided courtesy of iTunes

グレードアップした衣装での1stシングル(僕らのLIVE 君とのLIFE)、膝が全快ではない中 部分部分でパフォーマンスしてくださった南條愛乃さん、内田彩さんの涙ながらの最初のMC。いろんな思い出と現状がごちゃまぜになって、どばっと感情が溢れてきた。でも悲しいだけじゃなくて、とびきり楽しくて。もう三次元化されないであろうと思っていた衣装の再現がとってもかわいかったり、久々にパフォーマンスを見られた曲があったり、一緒に踊る曲がたくさんあったり。中でも私は、「Hello,星を数えて」が印象深かった。

youtu.be (27:30~)

Hello,星を数えて」は劇場版で真姫・凛・花陽が歌った曲である。まきりんぱな推しとしては待望の、初の1年生曲。ふんわり袖シャツにサスペンダースカート。いつもと違うポンパドールに、ちょこんと乗ったシルクハット。そんなキュートな姿の凛を中心に、NYの街中、ミュージカルを繰り広げる三人。劇場版のショートバージョンの時点で大好きだったが、このライブのフルバージョンで好き度が跳ね上がった。まず、衣装。凛ちゃん役の飯田里穂さんの衣装再現はもちろんのこと、真姫ちゃん役のPileさんと花陽ちゃん役の久保ユリカさんにも新たなデザインの衣装が追加されたことに感動した。1番はアニメ通りのコート姿、2番はそのコートを脱いで、凛ちゃんとおそろいの衣装になるのである。同じく劇場版で披露された3年生曲のおそろい衣装に羨望を抱いていたため、とても嬉しかった。また、ただのおそろいではなく、真姫ちゃんと花陽ちゃんはパンツスタイルであったため、凛ちゃんをエスコートするような形になっていたのにもグッと来た。次に、舞台セット。街灯や看板、テーブルなどが劇場版と同様に配置され、ちゃんと街中のようなステージになっていた。最後に、演出。これについてはなんといってもラスサビである。3人が顔を合わせて「楽しくなっちゃうね!!!」とはしゃぐ姿に胸がぎゅっとなった。この3人が同学年としてわちゃわちゃしているのが何よりも大好きなのだ。まきりんぱな推しで良かったと心の底から思った瞬間だった。

そして、アンコール。最後のMCで声優さんたちがぼろぼろに泣く中、私もぼろぼろに泣いていた。新田恵海さんの「私たちはずっとμ'sです」という発言、MOMENT RINGの「だって離れたりできるはずないんだよ」でぎゅっと集まる9人、本当に最後の曲となった「僕たちはひとつの光」。あんなに泣いたライブは、後にも先にもない。それほどにμ'sの存在は自分の中で大きかったのだ。

 

時は流れ、2019年5月30日。μ'sを通して「アイドル」そのものが大好きになった私は、二次三次問わず様々なアイドルを追いかけていた。そんな中舞い込んできた、「ラブライブ!フェス」の告知。正直「μ's復活」はもっと先だと思っていたため最初は戸惑った。しかし、耳を澄ましてみるとカチコチと音が聞こえた。心の奥にしまい込んでいたμ'sへの思いが、また新たに時を刻み始めたのだ。

こうして迎えた、年明けのラブライブ!フェス。ライブビューイング参戦ではあったが、どきどきは止まなかった。μ'sとふたたび会ったとき、自分は一体どうなってしまうのだろう。μ's声優の各々の活動(内田彩さんのソロアーティスト活動、三森すずこさん出演の少女☆歌劇 レヴュースタァライトなど)を追ってはいたが、全員が揃った時の反応は未知であった。会場との中継がはじまり、聞こえてきたのはμ'sのシングル曲。開場前BGMにも関わらず、盛り上がりは既に最高潮。自分の胸の高鳴りも最高潮。目頭が熱くなったまさにその時、幕が上がった。

まさかの未体験HORIZONからはじまり、虹ヶ咲、Saint SnowAqoursと繋がっていったバトン。純粋な楽しさに開場前の緊張が一気に解けてしまったが、ディスプレイの「μ's」の文字に改めて身を引き締めた。納得のトリ。「いつものBGM」と共にぱぱっと映し出されるキャスト紹介。「僕らのLIVE 君とのLIFE」のイントロが流れ始め、ついにμ'sが現れた。

率直な感想を述べると、μ'sは驚くほど変わっていなかった。あまりにもあの時の輝きそのままで。そのためか、真っ先にこみ上げてきたのは涙よりも喜びだった。ひたすらにμ'sを追いかけていたあの頃に、一瞬でタイムワープしたようだった。自己紹介のコール&レスポンス、「僕らは今のなかで」や「No brand girls」の振りコピ、そして「Snow halation」のライトチェンジ。そのどれもが、とてもとても楽しかった。

youtu.be (2:33~)

Final Liveからの4年間、いろんなことがあった。どうしたって癒えない悲しみも味わってきた。でも今、このタイミングで、μ'sと再会できたことは大きな救いになった。いくつになっても輝きを放つ彼女たちへの憧れは、はじめてそのパフォーマンスを見た時から変わっていない。

気づけば私も、Final Liveの頃のμ'sと同世代だ。まだまだ彼女たちには程遠いけれど、この想いを投げ出すことはしたくないな、と改めて思った。

 

だから今日も私は、輝きに手を伸ばす。

泡になれなかった人魚のはなし

とつぜん突き落とされたのは、冬のにおいが漂うつめたい海でした。

 

「海に飛び込めば泡になって消えてしまう」そう教えられていたはずなのに、いき苦しい呼吸は続いていて。幸せな日々を送りながらも、終わってしまう「いつか」を思い、懐に忍ばせていたナイフ。今すぐこの命を絶ちたいと探ってみても、両手は重い海水を掻き回すだけ。両脚が元のかたちに戻ることもなく、為す術のないわたしは、ただただ深く沈んでいきました。

 

そしてたどり着いた海の底。他のことは何も考えたくなくて、同じ記憶を何度も繰り返して。平気だとは決して思われたくなくて、泣き言を吐いてばかりの日々でした。でも、そんなわたしにいろんな人が手を差し伸べてくれて。手を引かれてたどり着いた場所では、色とりどりの景色が見られました。自分が思っていた以上に、この世界は素敵なものであふれていたのです。それと同時に、心にぽっかりと空いた穴は、そう簡単に埋まるものではないということにも気づきました。これは決して後ろ向きな気づきではありません。さまざまなものに触れたからこそ、大切なもののかけがえのなさを知ることができたのです。ひとりで縮こまっているだけではわからなかったことを、たくさん知ることができました。

 

そしてわたしは今、海の底に落ちてきた綺麗な言葉の欠片を拾い集めています。いつか帰ってきたときに、とびきりうつくしい冠を捧げられるように。

 

21歳のあなたに会うことは叶わなかったけれど、22歳のあなたには会えますように。

松島聡さん、お誕生日おめでとうございます。

その花の名は、─three weeks before birthday

まるで花を吐いているようだ、と思った。しかし、その花は枯れることを許さない。どれだけ胸をおさえても、花弁が口から零れることは無いのだ。

 

2018年のバレンタインに発売となった、アルバム「XYZ=repainting」。Sexy Zoneにとって、薔薇という「花」は大切な意味を持つ。故にこのリード曲には只ならぬ予感があった。そして、この予感は見事に的中することとなる。

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ラジオで解禁となった一番までの音源だけでも、まず大きな感動があった。これまでリード曲としては採用されなかったような、シックで切ない曲。それに、なんといっても全員分のソロパートである。歌番組やコンサートでは披露されない、二番でしか聴けないソロパートに涙を呑んでばかりであったため、この事実には大きく胸をときめかされた。

次に、テレビパフォーマンス初披露となったミュージックステーション。金色の髪で彼が魅せてくれたダンスパート。放送終了後、他担の友人達から一斉にお祝いのLINEが届いた。間奏だけとはいえ、「センター」というのはこんなに嬉しいものなのか、と胸がいっぱいになった。また、ラジオでメンバーからそのことを言及され、照れながらも嬉しそうに報告していたのを思い出す。

最後に、私にとってセクゾの初現場となったリペコン。あの時の「忘れられない花」は、今でも鮮明に覚えている。円周にぶわっと広がるレーザー、華麗なターンでばさりと舞うジャケット、その瞬間に覗く撓る細いからだ。そして、後奏での息荒く屈む振付。あの動きで私は、冒頭のような感想を抱いたのだ。

 

私に根付いた心の花も、一向に枯れる気配が無い。「あの日」まで、あと3週間。

追憶のサマーワンダーランド

私はずっと待っている。

耳で味わうことしか許されない、90秒後のショウ・タイム。

きちんと背を伸ばし、ぎゅっと指を組み、その瞬間を逃さぬように。

 

 

今年も、夏が終わる。

改めて振り返ってみると、去年の24時間テレビSexy Zoneにとって本当に大きな転機だったのだな、と思う。歴代のメインパーソナリティより準備期間がたっぷり設けられており、そこでの経験含め大きな糧となっていた。メディアへの出演回数も多かったため、そのぶん今年の状況を寂しく思ってしまう。

また、去年の夏に発売された円盤といえばサマパラ2017である。

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聡くんと"出逢った"のが2017年秋のことであるため、この現場には入れていない。よって、私の中では去年の出来事としてカウントされている。サマパラ2017といえばMermaidである。リペコンで見てはいたが、ディスプレイ連動中心+ショートバージョンでのパフォーマンスだったため、かなり新鮮な気持ちで見ることとなった。裾にきらきらのウロコがついたセーラー襟にパステルピンクのハーフパンツ、そんなかわいい衣装ながらもきびきびとしたダンス、「砂浜に書いた2文字は 言えないまま」の2を作って口に翳す振付と歌い方、「ゆびきりして」のウインク、「君しかいない」のきゅるるんっぷり、「君の手を引いて」の指のしなやかさ、ラスサビの片手挙げてのジャンプ、何回見ても「息継ぎさえ上手くできない」し「ただこの胸を焦がして」してしまう。メンバーの中で唯一のソロ2曲、その半分を担うものだけに、この曲への思い入れはどうしても深い。

ソロ曲が最も少なかったり、ソロパートが少なめであったり(5周年以降増えてきてはいるが)。考えるたび切ない気持ちになるが、少なくとも濃いし、少なくとも恋である。一挙手一呼吸一投足、すべてが愛しい。

これまで一番好きな季節といえば秋であったが、いつの間にか夏になった。大好きな歌とたくさんの思い出が詰まった、「キラキラしてクラクラしちゃう」季節。でも「夏の魔法」のせいだとは済ませたくない、確かな想い。

 

 

私はずっと待っている。

左示指を握りしめて詰め込んだ、切に願ったその刹那。

ひかりに手を伸ばし、いっそう煌めく、眩しい銀色のかがやき。

 

しっかり残ったその跡に、赤い糸を信じたくなってしまうのです。

めぐる季節と、みどり色のPAGES

春夏秋冬とはいつなのか。私の中では、3月〜5月が春・6月〜8月が夏・9月〜11月が秋・12月〜2月が冬、というイメージがある。しかし現実には、季節の変わり目は見え辛い。冬服をずるずると引きずった結果、春服の機会がまともに無いままに夏を迎えることになるのが毎年の恒例である。よって、「この日はどの季節なのか」という問いには熟考する。11月27日もそうなってしまう日付のひとつだ。しかしそんな日に生まれた彼が、とびきりの聴かせどころを担当している曲がある。「カラクリだらけのテンダネス/すっぴんKISS」通常版 収録、「冬が来たよ」だ。

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ソロパートがリレーされていくこの曲は、聡くんの以下のパートで締めくくられる。

ここからまた歩き始める物語

このパートをはじめて聴いた時、ふたつの感情がないまぜになった。ひとつは、この曲のメインに彼が置かれることへの喜び。非常においしいパートがあることがまず嬉しい。Birthday for youを初めて聴いた時のときめきがあった。冬のはじまりの曲に11月末生まれの彼が選ばれることは大変納得であるし、透き通ったやさしい歌声が、冬の澄んだ空気にぴったりである。もうひとつは、今共に歩く道が見えないことへの悲しみ。なぜこのタイミングで、と思った。しかしレコーディングの際も彼自身こうなるとは思っていなかったはずだ。それが尚更残酷だった。

この複雑な感情から1ヶ月、休止後初のCDとコンサートが発表となった。Sexy Zone定番の春ツアー。つまりは、冬が去ってしまうということである。すてきな冬の曲を歌う彼が、一緒に置き去りにされてしまいそうで怖かった。春なんて来るな、とも思った。

 

しかし容赦なく季節は巡る。アルバムを初めて聴いた時の感想は、前回の記事の通りである。ちゃんと向き合うことが出来ず、ただただ苦しかった。コンサートのことを考えるのも辛かったが、何も知らずにいることの方が怖い気持ちがあり、初日のレポをすぐに漁った。セクベアペンラに、映像で5人になる演出。最後の挨拶で泣きそうな彼らと、勝利くんの言葉。現状でできることの精一杯を為す4人に対して、きちんと楽しめない自分が不甲斐なかった。

また、3/30のらじらー!セクゾ担当最終回。これまで意図的に話題に出さないようにしていたであろう彼らが、ごく自然に聡くんの名前を出したことに驚いた。らじらー!は自分がSexy Zoneを好きになったきっかけのひとつでもあったため、終わってしまうことが受け入れ難かったが、楽しい最終回を迎えられたことには救われた。

そして親交のある同担さんから楽しかった、という報告を聞くこともでき、いよいよ自分の番だなと気を引き締めた。友人がオーラスに入りたいとのことで、私名義で応募した和歌山公演。当選したのは追加公演の方だったため、完全なオーラスでは無かったが最終日だった。おかげで各地のレポを読む猶予が与えられていた。聡くんの想いをちゃんと連れて、5人でトップを目指す。この決意は痛いほど聞こえていた。それでもやはり、自分がどんな感じ方をするのか不安でいっぱいになっていた。公演直前の冠番組では、冒頭でいきなり動揺してしまった。涙目で話し合う彼らの姿をちらっと見ただけで、心の底の思いが引き出されてしまったのだ。半年前のあの日以来、声を上げて泣いた。

 

精神不安定なまま5月25日となった。新品のワンピース、入念なメイク、色々なおもいの詰まったコンサートバッグ。去年のリペコンを思い出していた。身の整え方に四苦八苦し、慣れないファン層にどきどきしながら行った初めてのコンサート。この一年を経て、おしゃれの仕方も多少上達したと信じたい。そして出発する直前、去年の顔うちわをバッグに入れた。初めて手に取った時、あまりのきらきらっぷりに全く目を合わせることができず、ずっと裏面ばかりを眺めていた思い出の品。家に持ち帰ってからもドキドキは収まらなかったので、一年間ずっと部屋の奥にしまい込んでいた。今回のコンサートが発表されたとき、ペンライトを緑色にするのは認められないだろう、うちわを持っていくのはもってのほかだろうと考え込んでいたが、結局持っていくことに決めた。様々なレポを読み、それが許される温かな現場であるという判断を下したためである。実際現場に着いてからも、同様の判断をされていた方がちらほらいらっしゃり安心した。ぎゅうぎゅうの列の中デジチケ発券をし、当てたのはアリーナ席。セクゾコンで初めてのアリーナとなった。会場に入り、ステージセットのかわいさにずるいな、と思った。高台に小さな鐘楼のあるアンティークな街並み。悔しいが大変自分好みである。ペンライトとうちわを抱え、ざわつく胸を必死に抑えながら開演を待った。

赤いサイレンが回り始める。湧き上がる高揚感と、呼応する罪悪感。スタンドでは味わえなかったレーザーの鋭さが目に刺さる。指名手配犯として現れる4人。改めて数を思い知らされ、瞳が潤んだ。たくさんの感情が混じり合う中、ついに「カラクリだらけのテンダネス」が流れ出した。序盤数曲については、正直なところあまり覚えていない。「楽しみたいけれど楽しんでしまっていいんだろうか」という疑問がずっと頭の中を駆け巡っていた。しかし、ある曲にて答えを見出すことになる。

「恋がはじまるよーー!!!」
私は三浦徳子先生の詞が大好きである。突飛だけれど説得力があってとにかく頭に残る、かわいくて楽しいフレーズたち。このような詞を歌う聡くんが好きである故に、今回のアルバムにも提供されているのかと複雑な気持ちになったのを覚えている。演出についてはレポで散々読んではいたが、いざ目の当たりにすると想像以上に楽しくて困った。勝利くんの小学生姿が似合いすぎている。長身でアンバランスな出来になっている健人くん風磨くんマリウスくんについても、それはそれでかわいい。全力ではしゃぐ彼らを見て、もう楽しむしかないなと思った。

これ以降はしっかりと様々な演出を楽しむことができた。特に印象に残っているのはマリウスくんのソロ曲、「Keep On」である。”聴いて”いただけの時は、「Deja-vu」のようなスタイリッシュな演出になるのかと思っていたが、カラフルでオシャレな演出だったため驚いた。様々な衣装に身を包んだたくさんのマリウスくんがディスプレイを埋め尽くし、ステージ上のマリウスくんとコラボする。目が足りなくて困る。これだけで円盤が欲しくなるほど好きな演出だった。また、ソロ曲以外でもマリウスくんを見がちであった。表情筋の豊かさと、長身を生かした優雅な動きが素敵である。個人的にはダンスが細やかな健人くんを中心に見ることになると思っていたため、これは大きな発見だった。

あっという間に時間は過ぎ、最後の「いつまでもいつまでも」。来てくれた人も来れなかった人もありがとう、と言う勝利くんは涙目で、胸がぎゅっとなった。今回のコンサートは、彼らの”愛”を感じられる場であった。緑色のペンライトを掲げることを許容してくれた、それがなによりも救いだった。一番つらいであろうSexy Zone自身が、最も大きな愛を持っていた。

そして終演後、真っ先に出てきた言葉は「楽しかった」だった。もし自分がSexy Zoneのことを何も知らないままにコンサートを見ても、こういう感想になるのだろうと思った。少し離れた目線でそう感じられたことにはほっとした。
しかし、どうしても満たされないものも間違いなくあった。胸がはち切れてしまいそうな程のドキドキとトキメキと。あの感情は奇跡的で、当たり前ではない。そのことを改めて考えさせられた。

 

この日を終え、ずるずると引きずっていた想いをようやく整理し始めた。やっと春がやってきたと感じたが、既にもう6月である。春服の機会がまともに無いままに夏を迎える。まるで自分の衣替えのようだなと苦笑した。

 

ananのSexy Zoneカレンダーが6・7月分になり、未知の彼を久しぶりに見ることができた。やっぱり、どうしたって大好きだ。

IDOL/SWEETS/PAGES

私にとってのアイドルは、極上のスイーツだ。

食べるとたちまち元気になれる、とびきりの甘いもの。食べ過ぎないよう注意しなければならないくらいに、やみつきになってしまうもの。でも、その味がわからなくなってしまった。プレートの上の4種のスイーツは、間違いなく最高級のものだというのに。

ちゃんと味わえなくて、ごめんなさい。

 

気分の浮き沈みが激しい一週間だった。大切な思い出がたくさんあるらじらー!卒業のお知らせで気分が沈み、ananさんのカレンダーの最高っぷりに復活し、アルバムを聴き気分が沈み、コンサートの物販やMCのレポを見て復活した。しかしやはり、油断すると悲しみが心を襲う。

4人だけではなく、もっと多くの人が彼のことを思って、いろんなものを作り出してくれている。それは充分にわかっているのだ。けれども、PAGESをうまく飲み込めない。たくさんの想いが込められている最後の曲にでさえも、心が動いてくれない。味覚が鈍ってしまった自分が、とても情けない。

 

なんとかちゃんと味わえるようになりたいな、と思った。その願いを込めて、ブログタイトルを変更した。きちんと、「選び放題のアラカルト」を楽しめるようになりますように。

グリーンローズのひととせ

それは初恋の再来だった。

鋭い目線と振り切るようなダンスに、いつの間にか釘付けになっていた。今まで興味の無かったCDを友人から借り、ジャケットを直視できない自分に頭を抱えた。テレビの中の人物にこんな想いを抱くだなんて、思ってもいなかったのだ。

私はずっと、「忘れられない花」を抱えていた。その生命力はしぶとく、別の花を摘んでみても枯れなかったため、"これ"に匹敵するものなど現れないと思っていた。また、幼き頃から"これ"を抱えていたが故に、画面の中の存在にはてんで興味がなかった。二次元・三次元のどちらについて尋ねられても、同性の名前しか思い浮かばなかった程である。

だからこそ彼の ──松島聡さんの存在はとても大きなものだったのだ。

 

2017年10月29日、友人に少クラのTeleportationを見せられて以来、私の世界は大きく変わった。昔の想い出を何度も巻き戻しては胸を痛めていた自分にとって、リアルタイムで追えるときめきはとんでもない刺激であった。そのため友人にベストを借りた一週間後には「ROCK THA TOWN」「ぎゅっと」の初回盤を購入していたし、ジャニーズウェブやファンクラブにも気づけば登録していた。

二次元のアイドルしか追ってこなかったため、ジャニーズの供給量の多さには大変驚いた。雑誌にラジオにと嬉しい悲鳴をあげていたところあっという間に1カ月が経ち、11月27日となった。聡くん20歳の誕生日である。せっかくの節目であったが、この頃の自分は足に蔦が絡まっており、大々的に祝うことができなかった。21歳のお誕生日には盛大にお祝いすると決め、既に来年に向けての案を考えていた。

時間外労働が100時間間近となり身体も心もボロボロだった12月は、XYZ=repaintingのアルバム&ツアー決定の報に助けられた。休憩時間にこの知らせを見てリアルに飛び跳ねていたところ、先輩に見られ大変恥ずかしかった記憶がある。フラゲ日の2月13日には必死の思いで定時に帰り、万全の構えでCDを聴いた。「Birthday for you」のソロパートや「ラブマジ」「会いたいよ」のラスサビ前にひたすらゴロゴロした。もっといろんな人に聴いてほしいという思いから、このブログも開設した。

4月に初現場が決定したため、3月はその準備に奔走していた。友人を引き連れてデパートに行き、全身を変えた。まずは下着屋で10年振りのサイズ測定をしてもらい、購入したものをその場で着けた。友人がジェラートピケを発見し「寝てるときはふわもこパジャマって答えてなかったっけ!?」と言うのでウッカリ購入した(ちなみにこの時の私は「ジェラピケ」が一体どんなものなのか全く知らなかった)。ずっと着てみたかったが躊躇していた系統の服屋に行き、友人と店員さんの着せ替え人形になった。こうしてじっくり服を選ぶことは初めてで、最終的に選んだ若草色のカーディガンが気恥ずかしくも嬉しかった。最後にはコスメコーナーに突撃し、化粧水からチークまでおすすめされたものを一通り買った。BBクリームとベビーパウダーしかまともに塗ってこなかった私にとって「下地からちゃんと塗ること」はなかなかのハードルだったが、毎日必死で練習した。そして迎えた初現場、夢のような一日だった。これまで色々なライブに参戦してきた私であるが、物販の時点で心臓がバクバクになっていたのは初めてである。購入したうちわにキャーキャー騒ぎ、センターステージとの近さに動揺した。コンサート中はずっと心がふわふわしており、本当にこれは現実なのか?とまさに夢見心地であった。

8月は大きな転機の月だった。24時間テレビに向けての番宣で、様々な表情の彼を見られることに毎日はしゃいだ。その結果、足に絡まっていた蔦が解けることとなったが、ようやく自分の想いをしっかりと発信できるようになった。心機一転してTwitterのアカウントを移行し、24時間テレビに臨んだ。正直なところ24時間テレビは苦手な番組であり、不安の方が大きかったのだが、改めて色々なことを考え直す良い機会になった。特にブラインドダンスについては、彼のみならずパートナーである池田雪子さんにも大きな感銘を受けた。いつも笑顔を絶やさず、「私たちは、皆さんが思っている以上に心が強い」と彼らを導くその姿勢は、ひとりの女性として大変魅力的であった。この結果、私は社交ダンス教室の戸を叩くこととなる。最初は体験レッスンとしてチャ・チャ・チャを学んだのだが、講師の説明が今も頭に焼き付いている。「ルンバが4拍子で3歩進むのに対し、チャ・チャ・チャは4拍子で5歩進みます。ルンバは、キューバの黒人奴隷たちによって生みだされたダンスと言われています。両足を鎖でつながれているため、4拍子で3歩しか歩けないのです。そしてチャ・チャ・チャ ──これは私の独自の解釈なのですが。奴隷が解放された結果、喜びのあまり4拍子で5歩も進むようになったのかなと。なので私は、チャ・チャ・チャを『しがらみからの解放』や『自由への喜び』を表すダンスだと思っています。」この時、聡くんと雪子さんのチャ・チャ・チャが真っ先に思い浮かんだ。2人のダンスはまさに、しがらみを越えた感動を与えてくれるものだったからだ。また、24時間テレビをきっかけに「内面を引き出してもらった」「やっと自分が見つかった」と語る彼の姿も重なった。2人があの演目を行った意味が少し分かったような気がして嬉しくなり、「らじらー!」で体験レッスンに行った旨を投稿した。幸いにもこの投稿は採用され、彼の耳に届いたこともあり、今も週一でダンス教室に通っている。種目はワルツに変更になったが、常に新しい発見があり、楽しい日々を過ごしている。またこの頃から、様々なジャニオタさんとお話しさせていただくことが増えた。身近にはいない同担さんや他グル担さんと意見を交わすことは、大きな刺激となった。

10月になり彼との出逢いから一年経った頃、21歳の誕生日祝いを本格的にこさえ始めた。布地屋で布を厳選し、手芸本とにらめっこし、洋裁経験者の母からアドバイスをもらいつつミシンを走らせた。結果として出来上がったのがこちらである。

これっぽっちのものでも、ずっと考えていたことを形にできたことは、自分にとって嬉しいことだった。11月24日からブログが更新されないことが大変心配であったが、当時の私は「インフルエンザかな、せめてMステまでには治るといいなあ」くらいにしか思っていなかった。

そして11月28日。私はそのニュースを仕事の休憩時間に読んだ。ぶわっと感情が沸き上がったが、あっという間に残業は始まり、考える余地など無かった。震える手を抑えながらなんとか働き、急いで家に帰った後、ようやく声をあげて泣いた。

 

彼を好きになって、無我夢中で追いかけ始めた一年前。その頃からもう体調を崩し始めていたというのだ。それなのにいつも全力で、最高のパフォーマンスを見せてくれて。只々すごいな、と思った。同時に、彼に願いを託してばかりの自分を恥じた。私は心の弱い人間である。叱られることが何よりも嫌いで、すぐ傷ついて。「恐怖を恐れない人」よりも、「たくさん悩みながらも前に進む人」に共感と憧れを抱いて"推し"にしがちで。でも結局、"そうであってほしい"という勝手な理想を彼らに押し付けつつも、自分自身は安全圏から眺めているだけなのだ。つくづく卑怯な人間である。

しばらくは放心状態だった。彼が戻ってくる場所をきちんと守るためにも、他担さんの存在はとても大切なのだと理解はしていた。それでも心の奥では嫉妬が渦巻いていて、彼のいない世界が回っていくのが怖くて。4人でのパフォーマンスではどこを見ればいいか分からなかった。そんな中、他グル担さんとのDVD鑑賞会があった。私はSTAGEをお見せしたのだが、予想以上の反応を頂くことができ、とても嬉しかった。また、他グループのコンサートも色々見せて頂いた。アプローチの異なるパフォーマンスに、これまで見たことのない激しい特効や大掛かりな舞台装置。たくさん騒いだ一日となった。そしてこの帰り道に、ふと思った。「いつから私はこんなにジャニーズにはしゃぐようになったのだろう?」

もちろんこの答えは明白である。聡くんとの出逢いから、だ。これに限らず、彼との出逢いによって齎されたものは余りにも多い。ファッションやコスメに対する意識がとてつもなく向上したし、「推しについて長文で語る」というのもずっとやってみたかったことだ。これをきっかけに深く語り合える同担さんと出会うこともできたし、他にもたくさんの人との出会いがあった。所謂「オタク」になってそろそろ十年だが、こんなにも色んな人に出会い、多くの言葉を交わした年は初めてである。密かに興味のあった社交ダンスを始めることもできたし、アイドル衣装のミニチュア化にも挑戦できた。この一年、とにかく充実していたのだ。私はずっと、自分に何ができるのか分からなかった。多くの評価を得られる人が羨ましかった。今もその想いは変わらないのだが、一つだけ気づいたことがある。「今までの自分は、自分自身でさえも満足させられていなかった」ということだ。何かを成し遂げたと思っても、後に残る不満感。でも彼を必死で追いかけていた時には、そんな感情は残らなかった。そして姿が見えなくなった今、駆け抜けてきた道を振り返ってみて気づくのだ。新たな世界への扉が並んでいることと、その扉を開くための鍵を手にしていることに。

だから今の私がすべきことは、その扉を開けて安全圏から飛び出すことだ。たくさんの経験と力を積んで、自分の存在が大好きな人の負担にならないように。

 

すべての始まりとなった彼が、帰ってこられる場所を守るため。

私が今抱えているのは、緑色の薔薇だけだ。